2013年1月20日日曜日

楷法の極則といわれる『九成宮醴泉銘』


九成宮醴泉銘
きゅうせいきゅう れいせいんめい

作者:欧陽詢(おうよう じゅん)
建碑:唐・貞観6年(632)
撰文:魏徴
書体:楷書
現存:陝西省麟遊県

 「九成宮醴泉銘」は、唐代の階書の代表作として、古来「楷法の極則」と云われている名品です。虞世南の「孔子廟堂碑」とならび、とても多くの人に愛されています。

 九成宮は、唐代皇室の離宮のことで、もとは随の文帝が造営した仁寿宮(じんじゅきゅう)という宮殿でした。唐の太宗がこれを修復して九成宮と改め、太宗、高宗らがここに避暑しました。貞観6年(632年)、太宗は皇后を伴い離宮内を散歩中、偶然に西方一隅に潤いのあるところを発見し、杖でつつくと甘醴な水が湧き出てきました。九成宮は高所にあり、もともと水源に乏しいという欠点があったのですが、この醴泉の出現は唐朝の徳に応ずる一大祥瑞であると感じ、帝はすぐさま記念碑の建立を命じました。

 撰文には検校待中の魏徴(ぎちょう)が、書丹には唐三家の一人、欧陽詢(おうようじゅん)がその任にあたりました。魏徴53歳、欧陽詢76歳の時でした。銘文は華麗な四六駢儷体(べんれいたい)で全1108字、碑石は全24行、毎行50区に区画され、上部に「九成宮醴泉名」2行6字の陽文篆額があります。

 「九成宮醴泉銘」は、古来、その拓本を鑑賞する人がとても多く、宋代より翻刻が行われていたともいわれており、真偽、善悪とりまぜて、世に流布されています。質の良い拓本として、端方(たんほう)旧蔵の南宋拓。最旧拓とされている北京故宮博物院所蔵、明の季祺(りき)旧蔵本があります。

 碑は、陝西省西安の西北 150kmにある麟遊県からさらに西数kmの天台山という深い山中にあり、原碑は今も碑室に覆われ保護されているといわれています。


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