黄庭堅(1045-1105)は、洪州分寧(現在の江西省修水県)の人。字は魯直(ろちょく)、山谷道人(さんこくどうじん)、涪翁(ふうおう)などがあります。蘇軾、米芾、蔡襄とならぶ、宋の四大家の一人です。
中央の官僚として、一時華やかな時代を過ごしましたが、後半生は流罪などの不遇の中で生涯を終えました。そのような挫折が黄庭堅の詩や書を高い境地に押しやったともいえます。特に草書への情熱を持ち続け、二王(羲之・献之)、顔真卿、張旭、懐素を学び、筆法の鍛錬に努め、常に自分の未熟さを受け止め、生涯努力した人です。
『李太白憶旧遊詩巻』は、唐の李白の詩を書いたものですが、前半が欠失している断簡です。紹聖元年(1094年)以後の書で、書道史上の最高傑作の一つとされています。元・明代の草書体が、二折法(王羲之書法、古法)で書かれるのに対して、この書においては、二折法的な古法的表現を払拭し、徹頭徹尾、新法(=三折法)、新々法(=多折法)に依拠して書かれており、新法草書の極限ともいえる書作品です。
黄庭堅の作品は『伏波神祠詩巻』、『黄州寒食詩巻跋』、『松風閣詩巻』、『李白憶旧遊詩巻』などが知られています。
・伏波神祠詩巻(ふくはしんししかん)
建中靖国元年(1101年)5月、荊州で劉禹錫の「経伏波神祠詩」(ふくはしんしをへるのし)一首を楷書に近い行書で書いたもので、晩年の傑作として著名である。毎行3から5字、46行にわたる大作で、張孝祥や文徴明らの多くの跋がある。紙本33.6×820.6cm。永青文庫蔵。
・黄州寒食詩巻跋(こうしゅうかんじきしかんばつ)
行草体で9行、落款はありません。内容は蘇軾の書を評して、「顔魯公・楊凝式・李建中の筆意を兼ねており、蘇軾に再び書かせてもこれほどの出来ばえにはならないであろう。」と讃えている。が、それにもまして黄庭堅の跋は尊敬する蘇軾の書を前にして堂々たる気構えをもって書している。そこには顔真卿と楊凝式の書法を学んだ跡が見られ、しかも禅僧のような気魄に満ちています。
・松風閣詩巻 (しょうふうかくしかん)
崇寧元年(1102年)の流謫中の書で、晩年の作として特に重視されている。自詠の詩を行書で29行に書いている。この詩巻には顔真卿の他に、柳公権の筆意をも兼ねあわせた筆致が伺え、一段と円熟した境地に達している。紙本。台北・故宮博物院蔵。
・李白憶旧遊詩巻(りはくおくきゅうゆうしかん、李太白憶旧遊詩巻とも)
紹聖元年(1094年)以後の書で、李白の「憶旧遊寄譙郡元参軍詩」(きゅうゆうをおもい
しょうぐんげんさんぐんによするのし)一首を草書で書いたものである。紙本37cm×39.2cm。藤井斉成会有鄰館蔵。
黄庭堅については、まだまだ調べることが沢山ありそうです。
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