2013年1月29日火曜日

三蔵法師を讃えた『雁塔聖教序』

雁塔聖教序
がんとうしょうぎょうじょ


「大唐三蔵聖教之序」
作者:褚遂良(ちょ すいりょう)
撰文:序碑・太宗、序記碑・高宗
建碑:唐・永徽4年(653)
書体:楷書
現存:西安 慈恩寺大雁塔

 「雁塔聖教序」は、同大同型の二つ黒大理石の碑で、「大唐三蔵聖教之序」と「大唐三蔵聖教序記」からなり、この二碑を合わせての総称です。また、「慈恩寺聖教序」ともいわれています。

 この二碑は、建碑当初より左右対称に並べて置くことが意図されています。一つは太宗の撰文による「大唐三蔵聖教序」(序碑)で、八分額「大唐三蔵聖教之序」の8字が右から2行に配され、21行、毎行42字、全821字。もう一つは高宗の撰文による「大唐皇帝述三蔵聖教記」(序記碑)で、篆額「大唐三蔵聖教序記」の8字は左から2行に配され20行、毎行40字、全642字が刻されています。

 序碑には、太宗が撰文した仏教の伝来や、三蔵法師こと玄奘三蔵の功徳について述べられ、序記碑には、皇太子(後の高宗)が父太宗への理解と、玄奘の事業の意味とを述べています。褚遂良の傑作と云われる筆になり、万文韶(まん ぶんしょう)が刻した碑です。


「大唐三蔵聖教序記」
 永徽3年(652)、大慈恩寺に五層の雁塔が建てられ、玄奘がインドから持ち帰った教典が保存され、その翌年、塔の最上階にこの二碑が置かれた。しかし、雁塔は崩壊し、則天武后の長安年中(701-704)、新たに七層の塔を建立し、初層南面入口の東に序碑、西に序記碑を置きました。

 清代に文中の、「治」の末画の欠字を補刻し、同時に「玄」の末点を削ったことから、この2字から拓本の新旧がを区別している。


【参考書籍】

雁塔聖教序[唐・褚遂良/楷書] (中国法書選 34)
褚 遂良
二玄社

宋拓(高島コレクション)で構成されています



【関連書籍】




雁塔聖教序 (唐代の楷書 (5))
褚遂良
天来書院




褚遂良の「褚」という字は、SHIFT JISコードでは入っていない字なので、ネット上では、「チョ遂良」とか「〓遂良」になっていることがあります。Unicode(UTF-8)には入っている文字です。

2013年1月23日水曜日

唐代第一といわれる『孔子廟堂碑』


孔子廟堂碑
こうしびょうどうひ

孔子廟堂碑(唐拓孤本)
撰文・書丹:虞世南(ぐ せいなん)
建碑:唐・貞観3年(629)前後
書体:楷書
現存:拓本のみ

 「孔子廟堂碑」は、唐の太宗が、儒教宣揚のため武徳9年(626)、長安(現在の陝西省西安)の国子監の孔子廟を再建した記念碑。初唐の三大家の一人である虞世南が書丹したもので、品格において唐碑第一とされる作品です。欧陽詢の「九成宮醴泉銘」とならび、古来、多くの人に愛されている名品です。

 太宗の命を奉じた虞世南が、聖廟の重修の由来を撰文し、自ら書いた碑で、虞世南の楷書碑として(拓本が現存する)唯一のものです。建碑の年代は定かではないですが、孔子廟が完成した貞観2年(628)から貞観4年(630)の間とされています。虞世南が70歳の頃になります。

 碑は建立後間もなく貞観年中に火災に遭って破壊され(唐末か五代の頃に戦乱で破壊されたとも云われている)、現存はしていません。拓本は、原石拓が唯一本、唐代の旧拓が三井聴氷閣蔵となっているが、これも不完全なもので、失われた約1/3は覆刻(ふっこく)で補ったり、あるいは塗って作字したもので埋めてある。

 現在見られる他の拓本もすべて履刻本で、唐拓本の欠字の補充に用いられている「陝西本」と、「城武本」が有名です。

・陝西本(せんせいぼん)
宋初に、原本(唐の原石の拓本)から王彦超が覆刻したもの。西安碑林に現存するが、石は3つに割れている。

・城武本(じょうぶぼん)
元の至正年間(1341年 - 1367年)に、山東省の定陶県で黄河が決壊したときに出土した碑である。陝西本とは行数や空格(空欄)が異なっている。

 拓本の冒頭に見られる「孔子廟堂碑」の五字も、書風からみて虞世南の書ではないとされています。かなりの字数が虞世南のものでないにも関わらず、唐代第一とされているわけは、学ぶにしたがって、より鮮明になってくることと思います。


【関連書籍】




孔子廟堂碑 (唐代の楷書 4)
虞 世南
天来書院


臨書を楽しむ〈2〉虞世南孔子廟堂碑
石永 甲峰 森嶋 隆鳳 福光 幽石 成瀬 映山
二玄社







2013年1月20日日曜日

楷法の極則といわれる『九成宮醴泉銘』


九成宮醴泉銘
きゅうせいきゅう れいせいんめい

作者:欧陽詢(おうよう じゅん)
建碑:唐・貞観6年(632)
撰文:魏徴
書体:楷書
現存:陝西省麟遊県

 「九成宮醴泉銘」は、唐代の階書の代表作として、古来「楷法の極則」と云われている名品です。虞世南の「孔子廟堂碑」とならび、とても多くの人に愛されています。

 九成宮は、唐代皇室の離宮のことで、もとは随の文帝が造営した仁寿宮(じんじゅきゅう)という宮殿でした。唐の太宗がこれを修復して九成宮と改め、太宗、高宗らがここに避暑しました。貞観6年(632年)、太宗は皇后を伴い離宮内を散歩中、偶然に西方一隅に潤いのあるところを発見し、杖でつつくと甘醴な水が湧き出てきました。九成宮は高所にあり、もともと水源に乏しいという欠点があったのですが、この醴泉の出現は唐朝の徳に応ずる一大祥瑞であると感じ、帝はすぐさま記念碑の建立を命じました。

 撰文には検校待中の魏徴(ぎちょう)が、書丹には唐三家の一人、欧陽詢(おうようじゅん)がその任にあたりました。魏徴53歳、欧陽詢76歳の時でした。銘文は華麗な四六駢儷体(べんれいたい)で全1108字、碑石は全24行、毎行50区に区画され、上部に「九成宮醴泉名」2行6字の陽文篆額があります。

 「九成宮醴泉銘」は、古来、その拓本を鑑賞する人がとても多く、宋代より翻刻が行われていたともいわれており、真偽、善悪とりまぜて、世に流布されています。質の良い拓本として、端方(たんほう)旧蔵の南宋拓。最旧拓とされている北京故宮博物院所蔵、明の季祺(りき)旧蔵本があります。

 碑は、陝西省西安の西北 150kmにある麟遊県からさらに西数kmの天台山という深い山中にあり、原碑は今も碑室に覆われ保護されているといわれています。


【関連書籍】




九成宮醴泉銘 (唐代の楷書 2)
欧陽 詢
天来書院





漢字の音読み、「呉音」、「漢音」、「唐音」。


最初に伝わった漢字の音は、長江下流域の呉の地方の発音でしたので「呉音(ごおん)」とよばれます。呉音は、朝鮮半島の百済(くだら)を通じて渡来したので「百済音」、対馬を経由したので「対馬音」とも云われます。

 「漢音(かんおん)」は、その後の隋・唐の音を遣唐使や留学生が長安(現在の西安)や洛陽地方から伝えられたものです。当時中国を一般に漢(から)と言っていたので、漢代の音ではないですが漢音とよびます。朝廷はこの漢音を「正音(しょうおん)」として尊び、勅令を出して、以後の読書は漢音でせよと唱導したため、日本における漢字音は漢音が主流となりました。『古今』を「コキン」と読むのは、漢音で読んでいるわけです。

 時代が下って、中国の宋の時代になると、日宋貿易や禅僧の往来などによって、新しい中国音が伝わって来ました。当時は中国を唐(から)と言っていたので「唐音(とうおん)」ということになりました。ただし、現代では「唐宋音」とも「宋音」ともよんでいます。その後、明代、清代の音も入ってきますが、これらも大きく唐音に入れています。

 漢文はふつう漢音で読みますが、慣用で呉音が定着している言葉も混じっていて、新来の語彙の中には、唐宋音がそのまま使われているものもあります。これが、日本で使われている漢字音が複雑になっている原因でもあります。

 呉音で読むと変な例として、「美人」は「ミニン」、「白金」は「ビャクコン」、「埋没」は「マイモチ」となります。これはとても違和感があります。

 呉音が定着している例は、人間(ニンゲン)、六月(ロクガツ)、天井(テンジョウ)、胡麻(ゴマ)などがあります。これを漢音で「ジンカン」、「リクゲツ」、「テンセイ」、「コマ」と読むととても違和感があります。

 唐宋音には、長崎や京都宇治の禅寺などから出た言葉で次のようなものがあります。
和尚(オショウ)、喫茶(キッサ)、椅子(イス)、簞笥(タンス)、行燈(アンドン)、行脚(アンギャ)、算盤(ソロバン)… 

 漢字字典などには、音の種類も記載されています。呉音、漢音、唐音の他に慣用音などもありますので、とても複雑ではありますが、音から伝わった時代背景を見てみるのも面白いかもしれません。「喫茶」、「世間」など仏教由来の言葉が、唐宋音、呉音になっているので、仏教用語は全て呉音ということでもないわけですが、呉音で読まれることが多いようです。


【参考書籍】





2013年1月18日金曜日

漢字はどのくらいあるのでしょう?

 漢字はどれくらいの数があるかというと、1994年に刊行された『中華字海』(冷玉龍編)に収録されたの85,000字あまりだそうだ。日本の『大漢和辞典』(大修館書店)が、およそ5万字なので、約1.5倍の量になる。たぶん、これだけの文字を全部使う人はいないだろうし、これだけの文字を持っている文化も無いのではなかろうかと思う。

 歴史的にみると… (詳細はWikipediaにリンクしてますので、そちらで...)


 『説文解字 後漢・許慎 (100年頃) 9,353字

 『玉篇 梁・顧野王 (543年頃) 16,917字
 『類篇 宋・司馬光 (1066年) 31,319字
 『字彙 明・梅膺祚 (1615年) 33,179字
 『康煕字典 清・張玉書等 (1716年) 47,035字
 『大漢和辞典 日本・諸橋轍次 (1955年) 49,964字
 『漢語大字典』 中国 (1990年) 約56,000字
 『中華字海 中国 (1994年) 約85,000字

 なるほど、時代が進むにつれ、漢字の数は増え続けているのですね。


 これだけあると、掲載されてはいるものの、誰もつかったことが無い漢字というのもあるのかもしれません。もちろん、全部覚える必要は無いと思います。必要な文字は学び、必要な意味を学び、教養を深め、人生をより良いものにしていければ良いのです。


 『説文解字』ができてから、2000年近くの時を経て、10倍ほどの量になった漢字。いや、なってしまった、のかもしれません。今後の漢字はどのようになっていくのでしょう。楽しみでもあります。


【参考書籍】



漢字道楽 (講談社学術文庫)
阿辻哲次
講談社

とても気軽に読めて、漢字が楽しくなる本です。著者の見識の深さ・広さに触れるのも楽しいです。座右にぜひ。


【関連書籍】


大漢和辞典 全15巻セット 別巻『語彙索引』付
諸橋轍次 
大修館書店




漢字は奥深いです。

2013年1月17日木曜日

歴史ロマン溢れる『石鼓文』

石鼓文
せっこぶん

石鼓文(先鋒本)
時代: 秦(東周時代)
筆者: 不詳
書体: 篆書(大篆)
現存: 北京故宮博物院

 石鼓文は、唐の初期に陳倉(陝西省宝鶏市郊外)の田野で発見された10基の花崗岩の石碑(およびそれに刻された文字)で、60cmぐらいの太鼓に似たその形状から石鼓と呼ばれている。

 2200年以上前の石刻で、中国に現存する最古の石刻になり、出土したときから破損・磨滅があり、剥落(はくらく)が激しく、発見後は孔子廟に置かれたが、戦乱で散逸し、長旅を経て現在は北京の故宮博物院に収められている。このようなことから、現在では第8鼓などは判読できなくなっている。第6鼓は再発見された時には石臼として使われていたという話も面白い。



 書体は、秦の小篆に対して大篆と称し、また籀文(ちゅうぶん)・籀篆ともいう。時代については諸説ありますが、唐蘭氏の秦の霊公3年とする説が有力です。文章はかなり難解ですが、今日では、天子が地方を巡狩するときの情景を、四言を基本とした韻文に詠じたものあることがわかっている。全文は700文字前後あるはずと考えられていますが、宋拓本で460~500文字程度が見られ、文字資料としてたいへん貴重なものとなっています。






・范氏天一閣本
北宋時代の拓本で462字あり、古くより公開されているため、のちの刻本やレプリカのモデルになっている。1860年、内乱の際に亡失している。

明時代の金石家・蒐集家だった安国は十種もの石鼓の旧拓本を入手しており、特に優れた北宋拓の三本を、軍兵の三陣になぞらえて「先鋒本」、「中権本」、「後勁本」と名づけ秘蔵していた。いずれも、東京・三井文庫所蔵となっている。

・先鋒本
最古の拓本とされ、上下2帖からなり、毎葉2行、1行3字、480字が読み取れる。東京・三井文庫所蔵。

・中権本
毎葉3行、1行5字、不明瞭ながら500字が読み取れる最多字数の拓本で、法書としてこの拓本がよく取り上げられる。

・後勁本
毎葉3行、1行4字、491字が読め、法書としてよく供される。

 いろいろな歴史ロマンが溢れる石鼓文です。呉昌碩の臨書作品は、石鼓文の真を得ていると云われれいます。


臼として使われてしまった石鼓文


 夏目漱石と石鼓文が繋がっていたり、石鼓文自体にも諸説が多く、まだ情報整理がついていない状態で書いています。追って整理・修正していく予定です。


【関連書籍】


漱石と石鼓文

2013年1月15日火曜日

宋の四大家のひとり、黄庭堅


 黄庭堅(1045-1105)は、洪州分寧(現在の江西省修水県)の人。字は魯直(ろちょく)、山谷道人(さんこくどうじん)、涪翁(ふうおう)などがあります。蘇軾、米芾、蔡襄とならぶ、宋の四大家の一人です。

 中央の官僚として、一時華やかな時代を過ごしましたが、後半生は流罪などの不遇の中で生涯を終えました。そのような挫折が黄庭堅の詩や書を高い境地に押しやったともいえます。特に草書への情熱を持ち続け、二王(羲之・献之)、顔真卿、張旭、懐素を学び、筆法の鍛錬に努め、常に自分の未熟さを受け止め、生涯努力した人です。

 『李太白憶旧遊詩巻は、唐の李白の詩を書いたものですが、前半が欠失している断簡です。紹聖元年(1094年)以後の書で、書道史上の最高傑作の一つとされています。元・明代の草書体が、二折法(王羲之書法、古法)で書かれるのに対して、この書においては、二折法的な古法的表現を払拭し、徹頭徹尾、新法(=三折法)、新々法(=多折法)に依拠して書かれており、新法草書の極限ともいえる書作品です。

 黄庭堅の作品は『伏波神祠詩巻』、『黄州寒食詩巻跋』、『松風閣詩巻』、『李白憶旧遊詩巻』などが知られています。

・伏波神祠詩巻(ふくはしんししかん)



 建中靖国元年(1101年)5月、荊州で劉禹錫の「経伏波神祠詩」(ふくはしんしをへるのし)一首を楷書に近い行書で書いたもので、晩年の傑作として著名である。毎行3から5字、46行にわたる大作で、張孝祥や文徴明らの多くの跋がある。紙本33.6×820.6cm。永青文庫蔵。

・黄州寒食詩巻跋(こうしゅうかんじきしかんばつ)



 元符3年(1100年)の書で、蘇軾の『黄州寒食詩巻』に彼が題跋したものである。蘇軾の書も彼の快心の作であるが、この題跋も黄庭堅の作品の中で特にすぐれたものである。
 行草体で9行、落款はありません。内容は蘇軾の書を評して、「顔魯公・楊凝式・李建中の筆意を兼ねており、蘇軾に再び書かせてもこれほどの出来ばえにはならないであろう。」と讃えている。が、それにもまして黄庭堅の跋は尊敬する蘇軾の書を前にして堂々たる気構えをもって書している。そこには顔真卿と楊凝式の書法を学んだ跡が見られ、しかも禅僧のような気魄に満ちています。

・松風閣詩巻 (しょうふうかくしかん)



 崇寧元年(1102年)の流謫中の書で、晩年の作として特に重視されている。自詠の詩を行書で29行に書いている。この詩巻には顔真卿の他に、柳公権の筆意をも兼ねあわせた筆致が伺え、一段と円熟した境地に達している。紙本。台北・故宮博物院蔵。

・李白憶旧遊詩巻(りはくおくきゅうゆうしかん、李太白憶旧遊詩巻とも)



 紹聖元年(1094年)以後の書で、李白の「憶旧遊寄譙郡元参軍詩」(きゅうゆうをおもい
しょうぐんげんさんぐんによするのし)一首を草書で書いたものである。紙本37cm×39.2cm。藤井斉成会有鄰館蔵。



 黄庭堅については、まだまだ調べることが沢山ありそうです。


 【関連書籍】




2013年1月13日日曜日

出版されてる手本(法帖)の選び方

 古典の手本(法帖)はいろいろな出版社から発行されています。和書では、二玄社の「中国法書選」シリーズ(全60巻)、天来書院の「テキストシリーズ」(全60巻)がよく使われてるかと思います。

 「より臨書しやすく、使いやすく、お手頃なもの」と考えますと、上に挙げたものと、「精選 拡大法帖」あたりが、良いかと思います。その他にも、原色再現にこだわった「原色法帖選」や、中国のもの、折帖のもの、古書店でしか入手できないものなど、なかなか種類が多くて迷ってしまいます。

 どんな手本が使いやすいか、自分のスキルアップに一役買ってくれるか・・・、漢代の隷書、「礼器碑」の手本(和書)の4種類で説明します。


礼器碑[後漢/隷書] (中国法書選 5)
定番ともいえる「中国法書選」シリーズは、多色印刷で墨色がうまく再現されていて、美しく、使いやすい本です。採用している拓本も質の高いものが選ばれていシリーズです。
用紙にやや光沢があるので、テカリが気になる人もいるかもしれません。また、拓本で判読できない文字の説明などが無いので、読めない部分は書けないこともあります。


礼器碑 (百衲本)
礼器碑 (百衲本)
天来書院
こちらも定番の「天来書院テキストシリーズ」。1色刷りで、鑑賞よりも実用を重視した手本。拓本の見えない部分や、わかりづらい文字は、骨書きなどが記載されてます。
百衲本は、いくつかの拓本の良いところを組み合わせた、いわゆる”いいとこ取り”ですので、独習される方には重宝な本です。用紙はテカリのないものを採用しています。

 上の2つシリーズは、法帖の全文が掲載されています。

※二玄社の「中国法書選」と、「中国法書ガイド」がありますが、後者は「法書選」に対応した、基礎知識や解説の本で、サイズの小さい本です。ネットでご購入される場合には、名前が似ているのでお間違えの無いように…



礼器碑―後漢 (精選拡大法帖)
礼器碑―後漢 (精選拡大法帖)
二玄社

細部にこだわった臨書をしたい方にはおすすめできます。全文掲載されていないことが多いシリーズです(拡大して全文を掲載するには、かなりの頁数になると思うので、いたしかたないです)。
多色刷りで見やすく、拡大されているので、文字の細かい部分までよく見えます。半紙に4~8文字ぐらいの臨書だと、この本の文字のサイズとだいたい同じくらいになるので、見比べるやすくなります。

書道技法講座〈13〉礼器碑
二玄社

「書道技法講座」シリーズは、改訂版になってからDVDが付属しています。罫線入りの下敷きも付属していて、基本点画から、用筆法までしっかり解説されているので、初心者の方や、この法帖にはじめてふれる方の独学に最適です。