2013年2月27日水曜日

『千字文』について

『千字文(せんじもん)』は、四字一句の250句からなり、一文字も重複もない1000字で構成された韻文です。梁の時代の周興嗣(しゅうこうし)が作ったとされています。

千字文の内容は、天文・地理・政治・経済・社会・歴史・倫理などついて述べられていて、王子達が書を学ぶために作られたものと云われています。

雲海堂のTwitterでは、この『千字文』をBotにして、定期的につぶやくようにしています。
今のところ、1時間おきに「2句と口語訳」をつぶやいています。
...夜中はお肌に悪いので、0時~7時はつぶやかないようにしています。

底本としているのは、『千字文』(小川環樹・木田章義著、岩波文庫)です。


千字文 (岩波文庫)
千字文 (岩波文庫)
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小川 環樹 木田 章義
岩波書店
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「天地玄黄 宇宙洪荒」(千字文 1,2)は、口語訳では「天の色は黒く、地の色は黄色であり、空間や時間は広大で、茫漠としてる。」となります。

書籍には、和読(多くが文選読み)が掲載されていて、「テンチのあめつちは クヱンクワウとくろく・きなり。ウチウのおほぞらは コウクワウとおほいににおほきなり。」という読み方になっています。この文選読みは、まず漢語を音読し、次に訓読する読み方で、奈良時代末期から平安時代頃の僧侶らによって始められたものではないかと云われています。

現代では、ほとんど見られない可笑しな試みとも言えないことはないですが、慣れるとなかなか面白く読めたりします。

『千字文』の成立については諸説あり、諸説についてもこの本に書かれています。語にについての解説や出典などもわかりやすく、読み飽きない本です。

著者らの若かりし頃の思い出話しなどもあり、単なる解説書ではなく、著者らの「人となり」までうかがえる良書と思います。

巻末には、智永の『真草千字文』(国宝)も掲載さています。

座右に是非!

2013年2月13日水曜日

自由で素朴で大胆な『木簡』

木簡
もっかん
木簡

時代:秦、漢から晋代頃(約2000年前頃) 
筆者:不詳(多数)
書体:木簡隷など

 20世紀初頭に、スウェン・ヘディン、オーレル・スタインらによって中央アジア地方から、漢代から魏晋にいたる大量の肉筆資料が発見されました。

 西域地方探検で、新疆ウイグル自治区の楼蘭・尼雅、甘粛省敦煌などで発見された木簡は、前・後漢、晋のもので、900点以上(竹簡もあり)。その後も発掘が行われ、20世紀後半にもさらに多くの木簡が発見され、100万点を超えるともいわれています。

 西域(甘粛省から新疆ウイグル自治区の天山南路に通ずる地方)は、交通の要所でした。木簡・竹簡は、当時の軍事、政治、社会状況などをうかがえる資料であるとともに、書道では、漢代の人の肉筆として、文字・書体・書風の研究に貴重な資料となっています。

 漢代の一般的な簡牘は長さ約23cm、皇帝用の簡牘は約25cmと、写経用には約55cmと、用途に応じた定型で作られいて、文章が長くなるときには、つづりあわせて冊(編綴簡)にしていたようです。


 木簡の特徴は、特に能筆家が書いたものではなく、その表現は自由・素朴・大胆で野生に富んでいます。秦篆から漢隷(八分)に移った形跡が明らかで、点画の省略が見られ、この時代すでに、後の行・草書体や楷書体の形態が既に発生していたことが認められ、篆・隷・楷・行・草の各体が大胆かつ自由に書かれ、各種書体が入り混じっている。


書風も様々な木簡
波磔らしきものも見られます
【関連書籍】






木簡の書法
木簡の書法
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鶴木 大寿
日貿出版社


木簡は、名筆・名蹟といわれる部類ではないので、臨書をするにもいろいろな捉え方があって良いと思います。自由で大胆な書作品ができると思います。

2013年2月11日月曜日

素朴な趣の漢代の古隷『魯孝王刻石』


魯孝王刻石
ろこうおうこくせき

魯孝王刻石
時代:漢・五鳳2年(B.C.56)
書者:不詳
書体:古隷
現存:山東省曲阜 孔子廟

 五鳳二年刻石(ごほうにねんこくせき)とも呼ばれ、木簡などが発見されるまで、この刻石は前漢の最も古いものとして有名でした。

 前漢の宣帝時代、五鳳2年(B.C.56)に、魯の霊光殿内部の建築竣成を記念して刻したもので、「五鳳二年 魯丗四年 六月四日成」と3行、13字が刻されています。

 金の明昌2年(1191)に魯国の旧郡、山東省曲阜縣靈光殿址で出土した石刻で、現在は曲阜の孔子廟に現存しています。

 書風は、波磔を極力おさえた素朴な「古隷」の代表挌と称され、古来より篆書体から隷書体への過渡期にある書といわれてきましたが、木簡をはじめとする数多くの新出土の肉筆資料が発見されている現代では、当時の実用通行書体を少し格式ばって権威性をあらわした書とされています。「年」の縦画を長くのばしている書法は、漢代によく見られ、居延漢簡、石門頌、張景造土牛碑、李孟初碑、などにもみられ、この碑は早期の例としても注目できます。


【関連リンク】

孔子廟の魯孝王刻石(好古斎さんのサイト)
孔子廟の魯孝王刻石の写真が見られます。

清・楊峴「隸書魯孝王五鳳刻石」臨書(國立故宮博物院のサイト)
臨書作品が故宮博物院のサイトで見られます。

山東省曲阜の地図(旅情中国のサイト)
面白いです。


【関連書籍】


郙閣頌と刻石四種 (知られざる名品シリーズ第1期)

天来書院

「郙閣頌」の他、「魯孝王刻石」「莱子候刻石」「子游残碑」「楊陽神道闕」が掲載されています。



2013年2月4日月曜日

初唐の三大家、欧陽詢・虞世南・褚遂良


【時代背景】


 天下を統一した隋は、わずか37年で滅び、隋末の動乱を鎮圧した李淵(高祖)が天下を再統一し、唐王朝を建設しました。


李世民(太宗)
 李一族は、隋王朝の親戚関係にあった豪族でしたが、隋の終り頃、天下は混乱し各地で群雄が蜂起し、李淵の子李世民(りせいみん)は太原の留守居約であった父に挙兵をすすめ、都に乗り込み、父を唐王朝初代皇帝の位につけました。自分は秦王(しんのう)に封ぜられましたが、父をよく助け、唐王朝の基礎を確立することに努めました。李世民(太宗)は父の後を受け、国力を充実させ、その治世は唐代の中でも最も隆盛でした。

 唐は618年に起こり907年に滅びたので、約290年ほど続きました。日本では飛鳥時代から平安時代の半ば頃になります。遣唐使などの往来もあり、日本とも関わりの深い時代です。

 唐は文学史では、4つの時代に分かれていて、「初唐」「盛唐」「中東」「晩唐」と別れます。(初唐、盛唐、晩唐の3つにわけることもありますが、ここでは4つの区分にしたがいます。)


  •  初唐(しょとう) 618~712年
  •  盛唐(せいとう) 713~765年
  •  中唐(ちゅうとう) 766~826年
  •  晩唐(ばんとう) 827~907年


【初唐の三大家】

 唐の二代目皇帝、太宗は、中国史上最高の名君の一人と云われ、また能筆家としても知られ、王羲之の書を好みました。書にすぐれた臣下も多く、その中で最も有名なのが、欧陽詢、虞世南、褚遂良の三人です。この3人を「初唐の三大家」といいます。


欧陽詢(おうよう じゅん、557-641)
太子率更令(養育係)として書法を教授する。『九成宮醴泉銘』、『皇甫誕碑』などがある。
容貌すこぶる醜かったと伝えられている。

虞世南(ぐ せいなん、558-638)
太宗のブレーンとして仕えた。代表作に『孔子廟堂碑』がある。書は智永を師とした。


褚遂良(ちょ すいりょう、596-658)
太宗より信任が厚く、尚書右僕射まで栄達。『雁塔聖教序』、『孟法師碑』などがある。

 太宗(598-649)と三大家の年齢を見ると、太宗と褚遂良は2つ違いで、この二人より欧陽詢と虞世南は40ほど年上になります。太宗は宮中に弘文館を設け書を重んじました。弘文館では、欧陽詢と虞世南が書法を教授し、ここから多くの能書を輩出しました。


【参考書籍】


中国書道史年表
中国書道史年表
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玉村 霽山
二玄社

中国書道史事典 普及版
中国書道史事典 普及版
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比田井 南谷
天来書院

字と書の歴史
字と書の歴史
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江守 賢治
日本習字普及協会

【関連書籍】

決定版 中国書道史
決定版 中国書道史
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角井 博 鶴田 一雄 横田 恭三 大橋 修一 大野 修作 石田 肇 澤田 雅弘 中村 伸夫 菅野 智明
芸術新聞社

新訂 書の歴史-中国篇
新訂 書の歴史-中国篇
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伏見 冲敬 筒井 茂徳
二玄社


中国書人名鑑
中国書人名鑑
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二玄社