こうふくじだんぴ
興福寺断碑は、721(開元9年)年に西安の興福寺につくられた墓碑でしたが、いつしか所在不明となっていました。その後、明の万暦年間(1573~1620年)に長安南方の空濠の中から出土しましたが、発見されたときは既にこの碑の上半は失われていました。
碑は僧大雅によって、『集王聖教序(または集字聖教序)』や、その他の王羲之の作品の中の文字を集めてきてつくられたものと考えられている。『集王聖教序』に比べても劣らぬほどよくできているので、古来から行書の模範として重んじられてきたました。書風について両碑を比較して見ると、この碑の方が全体の字体も整い、書風も温健、用筆も穏やかです。
下半截のみ現存している碑は、西安碑林博物館にあり、下半の残碑のサイズは高さ約126cm×横93cm。下半分だけの碑になっているため、『断碑』または『半截碑(はんせつひ)』と呼ばれています。欠失した上半部は、濠の工事にでも使用されたのではないかという説もあります。
【参考資料】
【参考資料】
・早稲田大学の資料室(拓本画像あり)
・中国語では、『兴福寺残碑』です。こちらで検索すると、なかなか深い情報が出てきます(中国語サイトですが、写真や拓本などを眺めてみるのも楽しいのでオススメです)。
【関連書籍】
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