2012年12月29日土曜日

博物館・美術館・記念館のメモ

書道や日本美術などの博物館・美術館・記念館のリスト。西洋美術のも入ってます。
行ったことあるのは、いくつかしかないけれど、ネットで情報が得られるのはとても便利です。

実物でしか味わえない書作品の魅力というのもありますので、実際に行ってみた方が勿論楽しいです。 


台東区書道博物館 (東京都台東区)

東京国立博物館(トーハク) (東京都台東区)

日本書道美術館 (東京都板橋区

篆刻美術館 (茨城県古河市)

天来記念館 (長野県佐久市)

道風記念館 (愛知県春日井市)

巻菱湖記念時代館 (新潟県新潟市)

相田みつを美術館 (東京都千代田区)

頼山陽史跡資料館 (広島県広島市)

国立新美術館 (東京都港区)

東京都美術館 (東京都台東区)

三の丸尚蔵館 (東京都

江戸東京博物館

出光美術館

五島美術館

徳川美術館

三井記念美術館

松岡美術館

根津美術館

国際版画美術館

松濤美術館

ブリヂストン美術館

礫川浮世絵美術館

サントリー美術館

世田谷美術館


ネット美術館

e国宝 - 国立博物館所蔵 国宝・重要文化財




海外の美術館・博物館

國立故宮博物院 (台北)

西安碑林博物館 (中国・陝西省)

故宮博物院 (紫禁城)

吉林省博物院

MoMA

ボストン美術館

2012年12月27日木曜日

『西狭頌』は、作者名があきらかな最古の碑

西狭頌
せいきょうしょう


作者:仇靖(きゅうせい)
時代:後漢・建寧4年(171年)
現存:甘粛省成県
書体:隷書(八分)

 甘粛省武都郡の太守であった李翕(りきゅう)が、郡内の西狭の険路を改修した功績を讃えた頌文を岩壁に刻した摩崖*。全名は『武都太守李翕西狭頌』(ぶとたいしゅりきゅう-)で、『李翕頌』ともよばれる。

 碑の左側に「従史位、下弁仇靖、字漢徳書文」と小字題名に刻され、文字は彼の下役の仇靖(きゅうせい)が書いたことがことがわかる。書丹者の名が明らかに刻されている碑としては最古のものである。

 1文字は約8~9㎝四方あり、一字の欠損もない。また、碑の右側にはかつて李翕の徳業のために現れた瑞兆を示す、龍や鹿などのめでたいものの絵が刻され「五端図」と称されている。

 書風は八分ではあるが、波磔はあまり大きくなく、字形と筆意に古朴な趣があり、ゆったりとしていて都会的な弱さはない。意志的なたくましい書きぶりは、漢隷の正則と評されている。また、野性的な書を好む人に好まれている。

 隷書の入門としてもよく。臨書では均一な線を使ってもよいですし、古い摩崖の岩肌を感じさせるような書きぶりにしてみるのも面白い表現ができると思います。

*摩崖(まがい)= 摩崖刻・摩崖碑 =自然の岩壁を利用し、その岩面に文字を刻したもの。


【西狭頌を観る旅】

「漢の三大摩崖頌といわれる西狭頌郙閣頌(ふかくしょう)、石門頌(せきもんしょう)を堪能する旅」。甘粛省成県の西方約17kmの東栄村にあります。海抜1200mの天井山と単山に挟まれた魚竅峡の天井山下の岸壁に刻されています。詳しくは、日中平和観光株式会社へ...

【Googleマップで見れるか?】

甘粛省 隴南市 成県


【関連書籍】






2012年12月22日土曜日

『和漢朗詠集』 川口久雄著


『和漢朗詠集 川口久雄著
わかんろうえいしゅう
三の丸尚蔵館所蔵の倭漢朗詠集

この本(和漢朗詠集)は、御物の伝藤原行成筆、いわゆる粘葉本(でっちょうぼん)の『倭漢朗詠集』を底本としています。
底本は、縦20cm☓横12cmと、あまり大型本ではない寸法でで、手本として持ち運びに便利なかたちとおもいます。おの料紙は紅・藍・黄・茶色の薄めの唐紙に雲母引の唐花紋を刷り込んだようなとても凝った優雅な紙を使って、粘葉じたて(胡蝶装)の古風な装丁の本です。そこに楷書・行書・草書をまぜ書きした漢詩と、いわゆる行成流の草仮名(そうがな)で表記した和歌を交互に書き写した古写本です。上帖・下帖の2冊したてで、上巻は58丁、下巻は59丁の料紙を綴じています。巻首に「倭漢朗詠集」、巻尾に「倭漢抄」と内題をしるします。
底本は最善本ですが、写本ですので、時に誤字脱字があるのは避けられないことですが、明らかに誤脱と考えられるところは、出典の原拠のテキスト、または永享本などで対校して訂正が加えられています。

著者の川口久雄氏は、1910年生まれ。東京文理科大学文学部出身で、国文学(平安時代)を専門とする文学博士。著書に『平安朝日本漢文学史の研究』『菅家文草』『西域の虎』『花の宴』『絵解きの世界』『平安朝の漢文学』などがある。




【参考】

宮内庁三の丸尚蔵館 - 『粘葉本和漢朗詠集』

【関連項目】

粘葉本和漢朗詠集〈巻上〉[伝藤原行成] (日本名筆選 8)

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2012年12月18日火曜日

王羲之の『興福寺断碑』のおはなし

興福寺断碑
こうふくじだんぴ

興福寺断碑
作者:僧大雅、王羲之(集字)

建碑唐・開元9年(721年)
現存:西安碑林博物館
書体 :行書

 興福寺断碑は、721(開元9年)年に西安の興福寺につくられた墓碑でしたが、いつしか所在不明となっていました。その後、明の万暦年間(1573~1620年)に長安南方の空濠の中から出土しましたが、発見されたときは既にこの碑の上半は失われていました。

 碑は僧大雅によって、『集王聖教序(または集字聖教序)』や、その他の王羲之の作品の中の文字を集めてきてつくられたものと考えられている。『集王聖教序』に比べても劣らぬほどよくできているので、古来から行書の模範として重んじられてきたました。書風について両碑を比較して見ると、この碑の方が全体の字体も整い、書風も温健、用筆も穏やかです。

 下半截のみ現存している碑は、西安碑林博物館にあり、下半の残碑のサイズは高さ約126cm×横93cm。下半分だけの碑になっているため、『断碑』または『半截碑(はんせつひ)』と呼ばれています。欠失した上半部は、濠の工事にでも使用されたのではないかという説もあります。

【参考資料】

早稲田大学の資料室(拓本画像あり)

・中国語では、『兴福寺残碑』です。こちらで検索すると、なかなか深い情報が出てきます(中国語サイトですが、写真や拓本などを眺めてみるのも楽しいのでオススメです)。